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21日13〜15時、奈良市西大寺芝町1、総本山西大寺(0742・45・4700)境内の興正殿にて。
同市出身の桂文鹿さんら3人出演。椅子席。無料。 ![]() 病院の帰り、久しぶりに垂仁天皇陵の廻りを少し歩いた。日差しはきつくないもののたちまち汗が額に滲み出てくる。白鷺が数羽、濠の上を舞い御陵の木立の上部に姿を消す。よく見ると白い鳥が十羽くらいがいるのが見られる。田道間守の墓の当たりでは鵜が多く生息すると見えて、糞害で当たりの木立が白くなり立ち枯れているものもある。御陵の北西には畑の一角にキショウブが咲いているのを見た。
![]() ![]() ![]() ![]() 垂仁天皇陵はまんまんと水をたたえた周濠のある大型前方後円墳で,南北に位置し全山松に覆われる。影を水面におとすその秀麗な姿は大和の御陵の中でも際だっていると称される。全長227m、後円部の径は123m,高さ17.3m、前方部の幅は118m,高さ15.8m、周濠を含めた全長は330mという。 この陵の南東の濠の中に小さな島があり、垂仁天皇のために常世國に非時香果(ときじくのかぐのこのみ)を求めに行き、帰還したにもかかわらず天皇に先立たれたことを深く嘆いて死んだ田道間守(たじまもり)の墓と伝える。 ![]() ![]() ![]() すぐ横を走る近鉄橿原線の電車の窓からも、綺麗な墳形を見せています。菅原伏見東陵 『宝来山古墳』ともいう。第11代垂仁天皇の御陵に治定されている。この当たりを菅原里といい、平城京の右京地内に当たる。もとは土師氏の居住地で,後に菅原氏発祥の地となった由緒ある所で、垂仁陵の北方には喜光寺や菅原天満宮がある。 照明灯が設置されている工事の事を以前取り上げたが、それ以外にあちこちに防犯カメラが設置されているのに気づいた。朱雀門の東や南、大極殿東の道に数カ所等が気がついた所で、まだ知らない箇所もあるのだろう。
![]() ![]() ![]() 天気が今一つで黒い雲が一面にかかっている平城宮跡へ出掛けてみた。駐車場には観光バスが止まっているし、平城宮跡資料館の前には入館の順番待ちをしている子供達が列を作っている。聞くと大津だったり石切だったりと県外からの学校と知れる。みんな元気に答えてくれる。
平城宮跡の地図と質問事項を列挙したペーパーを持って、グループごとに歩いている子供や、大極殿前で記念写真を撮っているグループなどさまざまだった。大極殿西の池端で東院庭園や遺構展示館の所在を訪ねて駆けだしていったグループ、ちゃんと行けたかナ。 ![]() ![]() ![]() 大極殿南の道ばたには蓮華の花が一杯に広がって咲いていた。大極殿をバックに写してみた。青空でないのが少々残念。 ![]()
3月10日に行われた488次発掘調査の説明会のあと、その南側の発掘が続けられている。フェンス越しに覗くだけで詳細は不明。
![]() ![]() ![]() 平城宮跡資料館やその前のツツジが今満開になっています。 ![]() ![]()
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