平城遷都1300年祭 東大寺の鑑真和上坐像 初の中国里帰り |
県が新年度の当初予算案に運搬費など約530万円を計上。鑑真和上が過ごした大明寺で11月26日から12月7日まで展示される。
高さ約78cmの木像で、唐招提寺の鑑真和上坐像(国宝)をまねて造られた。苦難の末に来日した鑑真和上は、当初東大寺を拠点とし、聖武天皇と光明皇后に授戒。江戸時代に戒壇院が復興された際、この像が作られた。【奈良新聞 2/20】
写真は 平成14年6月〜7月に復興事業記念で一般公開された戒壇院千手堂のパンフレットに収載されたもの。毎月6日に忌日供養が行われているということです。
像については、『奈良市史』美術編319pに<上げ畳の裏側に「本院開山鑑真渡海大師眞像/享保十八年丑歳二月造作焉/戒壇院第三興隆恵光長老代/綱維比丘明道誌之」と墨書されていて、この像が享保十八(1733)年二月に造られたことが明らかにされる。これは、ちょうどこの二年前の享保十六(1731)年に、戒壇院の受戒堂が、おそらくこの像の本願でもあった恵光長老によって造営されたことにもよく即応するもので、これまた東大寺における復興的な事業の一連の仕事ということができよう。
像そのものは、おそらく唐招提寺御影堂の古い乾漆造の鑑真和上像をほとんどそのままに模して造ったと思われるものであるが、ただこの像はごく普通の木造彩色で、その作りも手堅い。しかし、その模像という性格から、その写実的な造作などは、ここではあまり問題にならないが、やはりその造形に模作の際のうつし崩れとともに、またかなり形式的に堅く整えられたようなところがあって、古い原像の表現とはずいぶん違ったものになっているのは、なんといっても、これが江戸彫刻だからであろう。上塗りの彩色も決してすぐれたものとはいえない。しかし、この像などはまた、江戸彫刻としてはなかなかの優作としなげればならない>。と、解説されている。
最初、手元の文献を色々探したが見つからず、『奈良市史」にモノクロ写真版を見つけた。千手堂復興の折りに拝見したことも記憶しておらず、偶然パンフレットに気づいて見たら、探していたカラーの写真版が有ったというわけでそれを紹介する。やはり表情などは唐招提寺像と比べて硬い感じを受ける。