「県里程元標」三条通に復元 <奈良市> |
地域住民らが、まちの観光のシンボルにしようと、明治時代に県の諸街道の起点として設置されていた「県里程元標」を、奈良市橋本町の三条通り御高札場前に復元した。
里程元標は、全国の道路の距離や状況を把握するため、各府県の本庁所在地の交通の起点となる場所に設置。県では明治21年7月に橋本町に置かれ、大阪や三重、京都への距離などが記されていた。しかし、時の流れの中で元標は石の台座を残すのみとなり、これを地元の橋本町自と三条通り橋本商親会が復元させようと、奈良市の市民企画事業の採択を受けて、御高札場前(江戸時代のお触書掲示場所)に、ヒノキ材で高さ3m、30cm角の里程元標を復元した。
橋本町商親会の大橋守会長は「橋本町の歴史遺産を語り継ぐとともに、観光資源になれば」と話していた。【奈良新聞6/1】
*
*
◎「県里程元標」復元に携わった 藤林文和さん(60)
明治時代に各府県に一つずつ諸街道の起点として設置された「里程元標」。その台座が奈良市橋本町のもちいどの商店街入り口に残されていたが、誰も気にも留めないような存在だった。しかし、長野県への旅行をきっかけに別の道路元標について調べていたところ、台座が里程元標のものであることが判明。橋本町の「まちや観光のシンボル」として復元させようと、周辺住民とともに、図書館に通いつめて史料を調べたり、町内のお年寄りに聞き取りをしたりして復元案を考えた。
3年かけて復元がかなった里程元標を見上げると、明治時代に他県に編入され、一時消滅した奈良県を明治20年に再び独立をさせた人々が、独立の象徴の一つともいえる里程元標を見たときの思いが伝わってくる気がしたと言う。(ふじばやし・ふみかず=奈良市橋本町) 【奈良新聞 6/2】