☆花の寺「般若寺」のスイセンは七分咲 |
頂いた寺のパンフによれば寺の歴史を次のように記す。
いにしえの奈良山を趣えるところ、奈良坂の古道にそって立つ般若寺は、飛鳥時代高句麗僧慧潅法師によって開かれた。都が奈良に遷って天平七年(735)、聖武天皇が平城京の鬼門を守るため『大般若経』を基壇に納め塔を建てられたのが寺名の起こり。そして平安の頃は学問寺として千人の学僧をあつめ栄急たが、冶承四年(1180)平家の南都攻めにあい伽藍は灰濫に帰しだ。
鎌倉時代に入って廃櫨のなかから、十三重石塔をはじめ七堂伽藍の再建が行われ寺観は旧に復した。なかでも金堂本尊には西大寺叡尊上人により丈六の文殊菩薩がまつられ信仰の中心となった。上人は菩薩の教えである利他(自己を高め他のためにはたらく)の行を実践し、弟子の忍牲たちと病者や貧者の救済に力をつくされた。その尊い慈善活動は福祉の先駆として歴史に名高い。
般若寺はその後、室町戦国の兵火、江戸の復興、明治の廃仏簸釈と栄枯盛衰を経ながらも、真言律宗の法灯をかかげ今にいたっている。と、ある。
何時もこの西国三十三所石仏を拝して、初めてこのお寺に伺った時は有名な十三重石塔の周囲を囲んで確か外向きに並んで立っていたと記憶しており、古い写真を探してみた。次回にはそれらを紹介してみようかと思う。