平城京三条二坊庭園<宮跡庭園> |
◆平城京左京三条二坊宮跡庭園
この庭園は、昭和50年(1975年)の発掘調査によって発見された奈良時代の庭園です。平城宮の離宮的な施設または皇族等の邸宅(宮)であったとも考えられるため「宮跡庭園」と名付けられました。長期間、土に埋まっていたため保存状態もよく、当時の意匠、作庭技法などを知ることができるきわめて貴重な遺跡です。昭和53年(1978年)に国の特別史跡に指定され、奈良市が庭園の復原整備をおこないまたました。平成4年(1992年)には国の特別名勝にも指定されました。玉石を敷き詰めたS字状の池(幅2~7m、延長55m)を中心に池とともに春日山、御蓋山などの東の山並みを望めるように、西側に建物を配置しています。
◆宮跡庭園と平城京の条坊
平城京の街には、道路(大路と小路)が碁盤目状に通されており、道路で囲まれた方形の区画を条坊、坪であらわします。宮跡庭園のある場所は、「左京三条二坊六坪」といい、左京(朱雀大路の東側の区画)の三条二坊(大路で囲まれ大区画)の北西から数えて6番目の坪(小区画)にあたります。
坪の中心に池をつくり、建物や塀が計画的に建てられており、ひとつの坪全体が宮跡庭園の敷地として使用されています。
◆宮跡庭園の保護と整備
宮跡庭園は、発掘調査によって存在が明らかとなった庭園遺跡です。その歴史的・芸術的な価値はきわめて高く・国の文化財に指定され、保護が図られています。発掘された遺跡は、もろくて弱いため、通常は、埋め戻して保護されます。しかし、埋め戻してしまうと、その遺跡の様子がわからなくなってしまいます。写真や図面だけでは、なかなかイメージがわきません。
幸い宮跡庭園では、石組の池は、比較的しっかりしていて、発掘した本物をそのまま露出展示することができました。池の周囲にある建物や塀などは、埋め戻した遺構の上に建物復原や平面表示して表現してます。これらによって、ありし日の宮跡庭園を、より具体的に理解することができます。また、周囲のビルが直接見えないように植栽するなど、庭園の雰囲気づくりにも工夫をしています。
宮跡庭園は、奈良時代中頃(750年頃)に造られた庭園で、池の改修や建物の建替えを重ねながら、平安時代の初めまで存続しました。ご覧いただいている遺跡整備は、庭園が造られた奈良時代中頃の様子を復原したものです。