平城宮大極殿は平安宮豊楽殿として移築された?? |
京都市文化財保護課は、京都市中京区にあった平安宮の供宴用施設「豊楽殿」の規模が確定し、大きさや構造が一致する平城宮(奈良市)の第2次大極殿が移築されてきた可能性があると発表したと、年明けに報道された。
平城宮で745年以降に建てられた第2次大極殿は、解体後どこに移築されたのか分かっていなかった。同課の担当者は「大きさが一致し、驚いた。第2次大極殿の移転先として、豊楽殿が有力候補となることは間違いない」と話している。
豊楽殿の中心部の遺構から、地盤沈下を防ぐため礎石の下に石を並べて整地した地盤改良跡が、9カ所見つかったというもの。
建物の中心部の柱間は約4.5mだったことが新たに判明。豊楽殿の大きさは、東西38.5m、南北約16mと確定した。基壇が東西43.6m、南北23.9mで、柱の間隔が南北、東西方向とも約4.5mだったことが判明した。恭仁京などから745年に奈良へ都が戻って建てられた第二次大極殿と大きさが一致したというもの。第二次大極殿跡では解体した際の足場跡が見つかっているため、建物が移築された可能性が高いと考えられてきた。
平城、平安両宮間の直線距離は約35km。解体して、古代の主要な運搬ルートだった河川などを使って運んだものと推測される。網伸也・近畿大教授(考古学)は「移築はほぼ間違いない。平城宮と平安宮という二つの宮都をつなぐ建築遺構が、考古学的に初めて明らかになった点で画期的だ」と話している。
豊楽殿は、平安時代の政治の中枢だった朝堂院の西に位置した豊楽院の中心となる建物で、元日のほか、大嘗会、新嘗会など、重要な儀式が開かれた場所。朝堂院にあった天皇が執政にあたった大極殿と並んで格式の高い建物とされる。
発掘現場の断面をはぎ取ったパネルや写真が13日まで、京都市上京区の京都市考古資料館(075-432-3245)で展示されている。月曜休館。無料。