地元有志ら「幻の城=多聞城」の実像追う |
戦国武将、松永久秀が奈良市北部に築いた多聞城。近世城郭の先駆けとも言われる「名城」だが、昭和になって跡地に学校が建てられるなど、今では「幻の城」となってしまった。そんな多聞城を調査研究し、実像に迫ろうと、地元で住民有志らの活動が進んでいるという。
多聞城は永禄三(1560)年ごろ、東大寺北西の丘陵に松永久秀が築城。瓦ぶき屋根や、後の天守にあたる4層の櫓を備えた城だったとされるが、天正四(1576)年に織田信長の命で取り壊された。
また昭和23年には城跡に若草中学校が建てられ、まだ文化財保護法が施行される前だったため、簡単な諷査のみで遺構は失われた。
【若草中学校から南を見る】
一方、地元の若草公民館では5年ほど前から多聞城関連の講座や展示会がスタート。昨年7月には講座の受講者らを中心とする18人が「多聞城ファンクラブ」を結成した。元若草中学校社会科教諭で代表の北村雅昭さん(73)が、定年退職後に収集した史料などを元に、今年2月に入門向けの冊子も作製した。
城の耐久性を上げる礎石などの先進的な技術、能舞台や茶室などの文化施設も持っていた多聞城。北村さんは「戦国時代の奈良にも素晴らしい城があったと知ってほしい」と地域の情報発信に意欲を見せる。
ただ、多聞城からは石垣が発掘されておらず、北村さんは今後、学校建築前の城跡を知る人への聞き取りを考えていると言い「(石垣が見つかり)初の近世城郭といえるのかどうか、確かめたい」としている。
多聞城を紹介する冊子はA5判、18p。若草公民館で無料で配布している。
問い合わせは同館、電話:0742(26)0130。