初詣は新しい砂を踏んで 奈良市・佐紀神社 |
月半ばに報道された新年を迎える儀礼が、いつも前を通ることの多い古社での風習だったので、取り上げて紹介する。社頭の写真を撮影したのは12月31日大晦日の午後だった。門松はともかく鳥居の石柱に竿を掛け渡し、稲穂を干すような形での造作(一種の注連飾りに当たるのだろうか?)を飾るのが珍しく感じた。参道の陽があたる部分を見ると、記事にある如く「砂モチ」が見える。初詣では参拝者は人の背よりも低いと見えた注連飾り?を潜って参道を進み社殿に向かうのだろうか、来年?の課題にするかな。
ー以下、紹介記事ー
年の暮れに神社の境内に新しい砂を敷く「砂モチ」という習慣が奈良市や大和郡山市にある。年明けとともに、参拝者は清浄な砂を踏んで初詣に訪れる。奈良市の平城宮跡北側には「佐紀神社」という名の神社が二つある。西側の西畑地区にある佐紀神社は江戸時代創建と伝わり、いまも砂モチの習慣が残る。氏子が年齢順に務める「十二人衆」が年末、砂モチや門松作りをして正月を迎える。
12月30日午前8時前、池のほとりにたたずむ小さな佐紀神社の境内に男性12人が集まった。新しいしめ縄は数週間前に氏子が集まって作った。竹を切り出して門松を作り、社殿屋根の落ち葉を集める。
掃き清めた参道に丼1杯分くらいずつ砂を敷き、手で形を整える。鳥居から本殿周辺まで数十センチ間隔で小さな突起が並んでゆく。
年が明けるまで、参拝者はこの砂を避けて歩く。古いしきたりだが、由来はよく分からないという。昔はわらじの裏に付いて減った砂を補充する意味もあったらしい。
十二人衆は47軒の氏子の男性から、生年月日の順に毎年一人が加わり、最年長の一人が抜ける。一番上が一老、次が二老。三番目の「年番宮守」は、常駐していない宮司の代わりに神主役も務める。
東京で外資系企業の役員を務めていたKさん(77)は10年ほど前、大阪勤務になった。年番宮守として毎朝境内を掃き清めるため、異動を希望した。「朝5時から掃除をして7時に家を出るのは大変だったが、代々務めてきたお役目だから」と振り返る。
いまは還暦ごろに十二人衆に加わるが、いずれ50代の人にもまわりそうだ。勤め人との両立は年々難しくなる。数年前からは月2回、十二人衆全員で境内の掃除を担う方式に改めた。亀田さんは「農家ばかりだった時代とは違って、負担が重すぎると氏子側が続かない」と話す。
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31日午後11時、除夜の鐘が聞こえ始めたころ、年越しの神事が営まれた。砂が敷かれて一昼夜を経たが、踏まれた跡はない。一老のKさん(69)は「知らずに訪れた人も、踏んではいけないと分かるようですね」。徒歩10分ほどの近鉄大和西大寺駅から時折、電車の音が響く。
日付が変わると、鳥居をくぐって参拝者が訪れ始めた。遠慮がちに砂を崩しながら神前に進み、手を合わせる。控え所の十二人衆に「おめでとうございます」とあいさつをする。Kさんは「伝統のある初詣や秋のみこしは地域の誇り。末永く続くよう力を合わせていきたい」と話した。