恭仁京本格的な都か…「岡田国遺跡」で 道路遺構発見~木津川市 |
京都府木津川市の道路建設の予定地(木津馬場南の「岡田国遺跡」)で、奈良時代に聖武天皇が造営した恭仁京の右京にあった道路とみられる遺構が見つかり、府埋蔵文化財調査研究センターが26日、発表した。
南北、東西方向の2本が直角に交わる道路跡の形状から、当時の都の特徴である碁盤の目状の「条坊道路」とみられ、同センターは「広範囲に整備された本格的な都だった可能性がある」としている。岡田国遺跡は、大極殿などが置かれた「恭仁宮」から南西に約5キロの位置にある。道路跡は南北方向に約40メートル、東西方向に約20メートル延びる2本が検出され、道路の両側には側溝とみられる溝がそれぞれ見つかった。
恭仁京は740年から4年ほどの間、聖武天皇が平城京から遷都したとされる。続日本紀には、都の中心にあたる恭仁宮を含む左京と、丘陵部を挟む形で右京が存在したことが記されているが、都の位置や規模、どの程度完成していたかなどについては諸説ある。
発掘地は恭仁宮跡から約5キロ南西の岡田国遺跡で、2本の道路跡の幅はそれぞれ6・7メートルと7メートル。平城京の小路とほぼ同じで、荷車が通った跡とみられる轍もあった。
道路沿いでは6棟の建物跡や奈良時代中期の須恵器、土師器のほか、文字を書く際に使われたすずりなども出土し、役所が集まる区画だった可能性があるという。
現地説明会はきょう28日午後1時から。駐車場はなく、JR木津駅から南に徒歩約20分。
問い合わせは、同センターの現地携帯電話(電)090・9258・8062。