悲願 陵墓研究に光り 神功皇后陵など学術調査許可へ |
宮内庁は20日までに、日本考古学協会など考古学や歴史学の16学会の代表者に、京都市の明治天皇陵(伏見城跡)と、古墳時代のものとされる奈良市の神功皇后陵(五社神=ごさし=古墳)のニカ所への立ち入り調査を許可する方針を固めた。
調査は来年2月から3月になる見通し。歴史関係各学会が連携し、約30年前から陵墓公開の要求を続けていた。
宮内庁は「皇室神事の対象で、単なる文化財ではない」と歴代天皇や皇族の陵墓の学術調査を実質的に認めてこなかったが今年1月、陵墓管理に関する内規を変更。調査できる範囲は隈定的だが、研究テーマを間わず申請があれば審査の上、調査を受け入れるよう方針を転換した。内規によると、歴史学だけでなく、すべての分野の研究者が所属の研究団体を通じて申請できるようになった。外観を目で確認するのが中心で、墳丘に立ち入る場合は一段目の平らな場所まで。発掘は認めず、人数は申請ごとに判断する。
内規変更を受け16学会の代表者が7月、非公式に意見交換をする陵墓懇談会で宮内庁に二陵の調査許可を要望した。今回の調査対象となる豊臣秀吉ゆかりの伏見城跡は、近世史研究で重要な史跡だが、明治天皇の埋葬地となってから立ち入りが規制された。
第14代仲哀天皇の妻だった神功皇后の五社神古墳は全長約275メートルの前方後円墳で、日本考古学協会理事の高橋浩二富山大学准教授は「宮内庁の測量データが正しいかどうか確かめることから始めたい」と話している。
宮内庁陵墓課は内規変更について「動植物の研究などでも調査を求める意見が多くなったため、実体に合わせただけ。今後も要望があれば内容を審査して許可していく」としている。
●やすらぎの場 公開評価
天皇や皇后を葬ったとされる陵墓には、歴史の解明につながる数多くの情報が眠ることは間違いない。しかし、学術調査はもちろん、研究者の立ち入りも厳しく制限されてきた。現在も改修工事に合わせた年一回の見学だけ。聖域の壁は厚かった。
陵墓の公開を求め続けてきた今尾文昭・県立橿原考古学研究所総括研究員は「文化財や古墳としての意義が公式に認められた。制限つきとはいえ評価できる成果だろう。陵墓は文化財であると同時に緑豊かなやすらぎの場所。今後も多用な対応を考えていくべきで、国民的理解をさらに積み重ねる必要がある」と話す。
●思い隔たり 譲歩は錯覚
ただ、立ち入れる場所は墳丘の一段目に限られ、発掘も認められない。森浩一・同志社大名誉教授(考古学)は「墳頂に乗せるくらいでないと何の収穫も期待できない。われわれが求める調査との隔たりが埋まることはないだろう。宮内庁が大きく譲歩したと思うのは錯覚」と指摘する。
奈良市の神功皇后陵(五社神古墳)は、平城宮跡の北に広がる佐紀楯列古墳群で最古の前方後円墳(四世紀後半ごろ)と考えられてきた。ところが、宮内庁が改修に合わせて行った発掘や測量で、五世紀代の中期古墳とする見方も出てきている。
今尾総括研究員は「いわゆる『河内政権』との関係など、歴史の解釈につながる間題。図面を現地で確認できる意義は大きい」と話している。【奈良新聞9/21】