平城京宮跡庭園 園地の傷みを調査−奈良市教育委員会− |
国の特別史跡、特別名勝にダブル指定されている奈良市三条大路一丁目の「平城京左京三条二坊宮跡庭園」(指定面積8040㎡)が復元されて22年たち、同市教育委員会文化財課は、園池の景石などが風雨で傷み、ずれも生じている可能性があるして調査を始めた。指定地内では、老朽化で取り壊された旧史跡文化センターの跡地整備について、文化庁や県もるオブザーバーとして加わる整備指導委員会(会長・菅沼孝之元奈良女子大学教授)が協議を重ねており、同委員会の指導があった。
旧史跡文化センター 跡地整備計画も
「宮跡庭園」は昭和50年、奈良郵便局(当時)の移転計画に伴う発掘調査で発見された奈良時代の大規模な庭園跡地。55年度まで続いた発掘調査により、造営は奈良時代前半で中期に全面石張りの園池が築かれていたことが分かった。
玉石を敷き詰めた幅15m、長さ55mのS字型の池を望む形で西側に宴遊施設が建てられていた。建物配置は奈良時代後期にかけ変遷が見られるが、園池の石組みは、景石、岩島などを配し、海岸もしくは渓流の景観を思わせる自然風景を模して造られ、後世の日本庭園の石組みの基本型ということができる。
市は52〜54年度に土地を公有化。復元整備基本構想委員会を設置し、同委員会がまとめた復元整備基本構想(54年12月策定)に沿って60年、奈良時代中期の姿に復元した公園を整備。園池北側には遺跡の保存、公開、管理のための施設として史跡文化センターも58年度オープンした。
通常、遺跡の復元は遣構を埋め戻した上で新しい材料を用いて行われるが、同園池の場合は、遺構と同じ石材を調達することが難しく、複雑な石組みをレプリカで再現することも困難だったため、特別名勝としての価値も考慮して実際の遺構をそのまま露出展示している。
園池は、奈良時代には宮跡庭園の東側を流れる菰川から水を引くか運んだと思われるが、現在は水道水を還流させ濁らないよう濾過(ろか)装置を付けている。
ただ「宮跡庭園」開園から20年以上がたち、風雨で遺構が傷んだり、景石の状況など現状をデジタル撮影したものを図面に作り直し、復元当時と対比させ、ずれが出ていないかなど調査することになった。また史跡文化センターが平成15年末に閉館し、解体作業を経て整地も終わった中で、跡地については宮跡庭園を拡張するとしてそのアウトラインを検討する「整備指導委員会」の基本計画策定作業が進んでおり、あらためて遺構の保存と管理について、調査を求める声も上がっていた。
文化財課はセンター跡地について、往時の建物を復元し、公園の管理・展示施設とする考えだったが、指導委からは復元建物と管理施設は別にすべきとの慎重な意見が出たという。
市文化財課は「遣構の保存・管理の点で現況調査を求める意見が強く出て、復元以来初の調査を行うことにした。この調査も参考に本年度内に史跡文化センター跡地の基本計画を策定したい。また年度内にできる作業として、史跡センター跡地の西端に塀を設け、植栽を施したい」と話している。
「宮跡庭園」については北側の民有地約100㎡が、地権者の同意を得て、年明け、文化財保護審議会の答申を待って国の特別史跡、特別名勝の追加指定を受けることになっている。 【奈良新聞 1/6】