713年以降の整備? |
平城京の東に張り出した区画・外京(げきょう)で道路交差点が初めて見つかった。道幅の寸法から、物差しの基準が変わる713年以降に整備された可能性が高い。「平城京の大枠は710年の遷都当初からできていたが、実際の宅地開発は遅れたのだろう」と発掘担当者は話す。710年の遷都で一斉に人が住み出したのではなく地区により宅地開発にむらがあったのか。
大和郡山市の下三橋遺跡で見つかった平城京の十条もほとんど利用された形跡がなく、早い段階で埋め戻されている。理想的なニュータウンであった平城京も現実の壁にぷつかり、当時の都市計画立案者は悪戦苦闘していたのだろうか。(大森)
【毎日新聞 3/11】