藤原宮跡「冨本銭」 飛鳥池製と成分、字体異なる |
今回の富本銭は、藤,原遷都の地鎮に使われたと見られる須恵器の注ぎ口に詰まっていた。取り出して調べたところ、直径約2.4センチ、厚さ約2.6センチ、重さ約6.7センチで、飛烏池遺跡出土と直径は同じだが、平均重量は約1・5倍。表面に鋳出された字体がウ冠の「富」でなく、ワ冠で、行書風になっていた。七曜を表す七つの点も大きい。日本書紀は694年3月、「大宅朝臣麻呂らを以て鋳銭司(じゅせんし=造幣局)に拝す」と記述。
日本書紀の683年に「今より以後、必ず銅銭を用いよ」と記されたのが飛烏池遺跡出土の富本銭とみられる。
同研究所の松村恵司・考古第-研究室長は「694年の遷都を機に、鋳造場所が藤原宮内の鋳銭司へと移ったのではないか」と話す。模造品とされる八幡山城跡(和歌山県白浜町、16世紀前半)の宮本銭が今回と同じデザインで、年代が見直される可能性がある。
今回の宮本銭は、4月18日まで同研究所藤原宮跡資料室で展示する。【林由紀子】
写真:地鎮具から取り出された富本銭(左)と飛鳥池遺跡から出±した富本銭一(下はそれぞれのイラスト)=奈良県橿原市の良文化財研究所で17日、大橋公一撮影
【毎日新聞 3/18】