西大寺は巨大伽藍だった! |
★柱穴に古墳の石転用
奈良市の西大寺旧境内で昨年見つかった薬師金堂の大きさが文献の記録と一致、東西35.7m、南北15.9mの巨大な建物だったことが奈良文化財研究所の調査で分かった。奈良時代の女帝・称徳天皇が東大寺に並ぶ大寺として建立した西大寺の実像に迫る資料となりそうだ。
★奈文研が調査
薬師金堂は同寺の中心的な建物で、奈良時代に書かれた「西大寺流記資財帳」に「長十一丈九尺」「広五丈三尺」とある。
昨年の調査では、7基の柱穴が出土。建物本体の南北が確認できたほか、北側ではひさしの柱穴も見つかつた。伽藍(がらん)の中軸線などをもとに全体を復元すると、西大寺流記資財帳の数値と一致した。
西大寺は聖武天皇を父に持つ称徳天皇が8世紀後半に造営。二つの金堂と東西両塔があり、中心伽藍の面積は約44万平方メートルと推定されている。
薬師金堂は中国的な色彩が強く、鴟尾(しび)の上に金色の鳳鳳が立てられたという。
見つかった柱穴の4基には、長さ約160cm、幅60cmの凝灰岩が二枚ずつ敷かれていた。同研究所が詳しく謝べたところ、表裏のあることが判明。丁寧に加工された面ほど風化が激しく、調査を担当した林正憲さんは古墳の石材を転用したとみている。
石室を構成していた石材で、荒く削られた外面は墳丘の盛り土に保護されて風化が遅かつたらしい。凝灰岩が敷かれていない柱穴もあり、「数に限りがあり、必要な部分だけ使ったのではないか」と林さんはみている。
▲浄土院本堂が完成一内陣には防火シャッターも▲
薬師金堂跡に建つ浄土院(林利法住職)の本堂建て替え工事がこのほど終わり、落慶法要が営まれた。18世紀前半に建てられたこれまでの本堂は老朽化が進み、昨年7月から工事が行われていた。
完成した本堂は延べ床面積約87平方メートル。寄せ棟造りの木造で、本尊の阿弥陀如来坐像(奈良市文化財)を安置する内陣には、感知式の防火シャッターが内蔵されている。今月15日の落慶法要には約90人が参列、本山の知恩院から祝辞も寄せられた。本堂では「尼講」と呼ばれる念仏の会が毎月開かれているほか、施餓鬼供養や彼岸の法要も営まれる。林住職(58)は「薬師金堂と同じ場所に建てられたのは歴史的に意義深いこと。檀信徒の結束とご縁のおかげです」と話している。 【奈良新聞 6/20】
浄土院の写真は6月20日撮影。