西大寺食堂院と井戸の発掘 |
◆平城第404次・410次調査の調査地は、西大寺北東(食堂院)・一条北大路・北辺坊(右京北辺三坊三坪)にあたります。
西大寺食堂院では、宝亀11年(780)の『西大寺資財流記帳』にみえる檜皮殿・大炊殿・甲双倉のほか、埋甕列・井戸などがみつかりました。また、一条北大路側溝が確認され、平城京の都市計画復原に重要な資料を得ました。北辺坊では、柱列や溝がみつかりました。奈良時代を通じての活発な土地利用がうかがえます。
◆大炊殿=西大寺の大炊殿。資財帳の長九丈・広五丈という記載通りの巨大な建物がみつかりました。礎石建ちで、東西七間・南北四間。写真は西から。
◆大炊殿の礎石据付け穴=建物の重量を支えるため、礎石の下には強固な基礎が必要でした。方形の穴を掘り、瓦・石を入れ、さらに層状に土を積んでいます。
◆井 戸=西大寺食堂院の巨大な井戸。井戸枠は分厚い材で組まれています。西大寺を支えた「水源」です。写真は南西から。
◆一条北大路南側溝=幅約4m、深さ約70cmをはかります。何度かの浚渫・改修が行われています。
これらから大林潤研究員は
・食堂院は宝亀11年(780)までに完成か
・応和2年(996)に倒壊→再建か
・12世紀初めには弥勒金堂として機能
とされ、井戸は内法約2.3mの平城京では最大の大きさであったと実物大の写真パネルを提示され、その解明には考古学・建築学・年輪年代学・文献史学と多くの総合調査の結果であるとされた。