多すぎて埋め戻した木簡群〜平城宮の東方官衙地区調査 |
■役所の役割示す文字も
平城宮跡(奈良市)の東部に、奈良時代に役所が集まっていた「東方官衙地区」と呼ばれる地区がある。役所の配置など、まだ不明な点の多いこの地区を、奈良文化財研究所が昨年から発掘調査している。07年に続き今年1月から2回目の調査が姶まった。8月には、奈良時代の米倉と見られる2棟の大型礎石建物跡が見つかったことなどが発表された。その後、調査で見つかった穴に、大量の木簡が埋まっていることが判明。その数は数万点に上ると見られ、これまでにない大規模な発見になりそうだ。【花澤茂人】
3月中旬ごろ、同研究所の渡辺晃宏・史料研究室長が調査地域を掘っていると、木簡が埋まっでいるのに気づいた。ほとんどが削りくずだったが、最高約40センチの厚さで、間に土が入らないほどびつしりと堆積していた。「これはちょっと普通ではないな、と感じた」とその瞬間を振り返る。
木簡が見つかったのは直径約6メートルのごみ捨て用と見られる穴だった。これまでに木簡を取り上げた面積は、穴全体の一割程度。そのまたわずかな分だけを洗っただけで、すでに約3500点の木簡を確認した。渡辺室長は「このペースで穴全体から木簡が見つかれば、平城宮内で過去に見つかった木簡の総数(約5万点)を一気に越える可能性が高い」と話す。
「慌てて掘るよりも、しっかり態勢を立て直してから」という判断で、調査区域から外れでいた部分については、保存のための万全の対策を立て直してから」という判断で、調査区域から外れていた部分については、保存のための万全の対策を取った上で未発掘のまま埋め戻した。「宝物です。すぐに取り上げたい気持ちもありましたが、ぐっとこらえました」と渡辺室長。次は、今年の秋から冬にかけて発掘調査する予定だ。
取り上げた木簡に書かれていた文字からも、いくつか重要なことが分かってきた。「宝亀」(770〜781年)という年号が書かれたものがあり、奈良時代末期に役所の建て替えなどの際に捨てられたものと見られる。
「近衛」や「兵衛」など、天王を守る軍隊にかかわると見られる文字も目立ち、その場所にあった役所の役割を表している可能性が浮上している。
穴からは木簡以外に土器も見つかっており、奈良時代末期の土器を知る上でも、貫重な発見になるのは間違いないという。
内容も合めた木簡の全容が明らかにな.るのは数年後になりそうだ。、渡辺室長は「これまでも、木簡から重要なことが発見されてきた。今回は何が見つかるか、わくわくします」と期待している。
調査の結果は、平城宮跡資料館の特設コーナーで来月31日まで開かれている発掘速報展で展示されている。間い合わせは同研究所文化財情報課(0742.30・6753)。
【毎日新聞 7/19】