平城宮朱雀門 実は「一重屋根」だった? |
平城宮の正門で、現在は重層構造に復元されている朱雀門(奈良市)の屋根が、一重の単層構造だったという新説を、奈良文化財研究所の清水重敦・景観研究室長(建築史)が打ち出した。復元建物の完成から10年以上がたち、奈良のシンボルの一つになっている朱雀門のイメージを揺るがす説で、議論を呼びそうだ。【花澤茂人】
奈良市内で11,12日にあった「古代官衙・集落研究会研究集会」で発表した。
朱雀門は奈良時代初期の建造で、発掘調査から幅約25m、奥行き約10mの規模だったことが確認されている。復元は奈良国立文化財研究所(当時)が中心になって実施。発掘調査の成果や法隆寺(斑鳩町)の中門など現存する奈良時代以前の建築物、絵巻物に残る平安京の朱雀門を参考に、97年に高さ約20mの重層建物を完成させた。
清水さんは今回の発表で、発掘調査の結果から再検討。基壇について、外装が見つからなかったのに、礎石を置いた穴がよく残っていたことなどから、重層よりも単層にふさわしい高さ75cm程度の低い基壇だったと想定。さらに、奥行きの柱間が2間しかなかったことに注目。奈良時代前半以前の重層の門は奥行きが柱間3間が普通で、2間では構造的に不安定だとし、屋根が単層構造だったと結論づけた。
清水さんは「格式の高い建物は重層と考えがちだが、単層でも立派な建物は多い。建物を復元して議論をやめてしまうのではなく、続けていくことが大事だ」と話している。
【毎日新聞 12/13】