公式ガイドBOOKできる:平城遷都1300年祭 |
◆平城遷都1300年記念事業協会 http://www.1300.jp/
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2009年 11月 29日
来年1月1日からスタートする『平城遷都1300年祭」の公式ガイドBOOK №1が出来上がり、県民への配布が始まった。Take Freeとあるので、これからは駅や観光案内所などで配布されるようになるのではないだろうか。総ページ32ページで、県内の予定をはじめアクセス早見表なども収録される。
◆平城遷都1300年記念事業協会 http://www.1300.jp/ #
by taisi123jp
| 2009-11-29 09:13
| 歴史・奈良
2009年 11月 28日
◆藤原京で50メートル確認 『天皇の空間」権威を示す
日本初の本格的都城・藤原京(橿原市高殿町など、694〜710年)の中枢部で、藤原宮大極殿院の回廊跡が約50メートルにわたって見つかり、奈良文化財研究所が27日、発表した。幅8.4メートルで中央に仕切りがある複廊形式の瓦ぶき。回廊で囲まれた空問の重要性を示す格式の高い造りが確認された。 大極殿院は東西115m、南北155mの回廊で四方を囲まれた天皇の空間。今年7月から、回廊の東南隅約1400平方メートルで発掘調査した。 大極殿院南門から真っすぐ東に、4.2m間隔で並ぶ礎石跡11個を3列確認した。これに直角に接合する南北方向の回廊も同じ構造だった。 接合部は、回廊の幅に合わせ、礎石の問隔を狭めて調整。大極殿院の南に展開する朝堂院(政務や儀式を行う臣下の空問)の回廊コナーと同じ手法で、一体的に設計したことが分かるという。 このほか造営資材を運んだ大溝や回廊を造営・解体した時の足場の跡なども見つかり、高橋知奈津研究員は「造営工事の過程が明らかになった」としている。重弧文鬼瓦など瓦を中心に動物の骨、モモの種なども出土した。 現地説明会は29日午後1時30分から。JR畝傍駅から南東約1・5キロ。 【奈良新聞 11.28】 #
by taisi123jp
| 2009-11-28 10:28
| 歴史・奈良
2009年 11月 27日
◆「ひとまろくん」と一緒に
奈良市の平城宮跡で雑草火災が相次いでいることを受けて、県警や市消防局、NPO法人「平城宮跡サポートネツトワーク」など10団体が、宮跡内をパトロールする「平城宮跡みまもり隊」を結成した。 文化庁によると、宮跡内の雑草火事は今年に入って8件発生している。同隊は約30人で、12月5日に出陣式を行い、活動をスタートさせる。 また、奈良市の女性デザイナーに依頼レて「火気の元 火、止まろ!」の意味を込めたキャラクター「ひとまろくん」=イラスト=を考案。帽子やベストにこれをプリントし、パトロールに使用する。 県文化財保存課の石川幸司課長は「いずれは県民の方にも参加してもらい、平城宮跡を皆で守る機運が高まってほしい」と期待している。 【大森治幸】 【毎日新聞11/27】 #
by taisi123jp
| 2009-11-27 08:12
| 歴史・奈良
2009年 11月 26日
◆平城遷都1300年祭関連行事
県は24日、平城遷都1300年記念の社寺特別開帳で、天理市布留町の石上神宮に伝わる国宝「七支刀」が、6年ぶりに公開されると発表した。 来年5月17日から6月11日までの平日20日間。1日3回、各回50人を上限に拝観できる。 申し込み方法は来春発表、多数の場合は抽選となる。事前に同神宮を正式参拝する。 七支刀は全長約75cmの剣で、象嵌(ぞうがん)の銘文から、朝鮮半島の百済が国交成立を記念して4世紀の倭国に贈ったとみられている。 公開は平成16年に奈良国立博物館で開かれた特別陳列以来となる。 来年の特別開帳では、県内の52杜寺が約100点の国宝や重要文化財を公開。 問い合わせは平城遷都1300年記念事業協会、電話0742(26)0752。 【奈良新聞 11/25】 ◆ところで「七支刀」とは? 七支刀 長さ:74.9cm 古墳時代(4世紀) 昭和28年11月国宝指定 石上神宮の神宝として、永く神庫につたわってきたものである。 身の両側に三本ずつ交互に枝刀をつくりだした特殊な形式の剣で、この名称もこれによる。銹化により鎬(しのぎ)の存在までは明らかでないが、剣身両面の鋒(きつさき)近くより関(まち)部付近まで表面に34字、裏面に27字の銘文を金象嵌であらわす。 (表)「奏和四年□月十六日丙午正陽造百練釦七支刀□辟百兵冝供供侯王□□□□作」 (裏)「先世以来未有此刀百済口世□寄生聖音故為倭王旨造□□□世」 銘文は身の刃沿いに金象嵌された二本の条線の郭内に収まり、枝刀では鎬沿いに一条の金象嵌を施す。この銘文を具体的に取り上げたのは当時石上神宮司であった菅政友で、文頭の年号を「泰始」(たいし)とみて、西晋の泰始四年(268)にあてたが、江戸時代以降さまざまな説をみながら今日では「泰和」(たいわ)とするのがほぼ定着化し、泰和四年は東晋の太和の音の仮借とみて、太和四年(369)と解せるものである。 『日本書紀』神功皇后五十二年秋九月の条に百済(くだら)の肖古王(近肖古王)の使者が七枝刀一口、七子鏡一面を献じた記事の七枝刀に相当するものと考えられている。この年は252年であるので、これに約120年を加えて『書紀』の紀年を修正し、その記事を裏付けることにもなり、『書紀』伝承の根拠を正すことができる。 『神功紀』の信頼性はともかく、日本が卓淳(とくしゆ)国を通じてはじめて百済と接触し、百済の使の来た年を近肖古王二十二年(367)とすることには大過なさそうで、七支刀はこのあいだの事情を明らかにすることのできる資料でもあり、古代国家成立過程における対外交渉をみるうえで見逃せない。(三輸嘉六) 【出典】『国宝大辞典 四.工芸・考古』(講談社 昭和61年1月24日) #
by taisi123jp
| 2009-11-26 08:12
| 歴史・奈良
2009年 11月 25日
来年の遷都1300年祭のメイン会場になる大極殿周囲は、地面を削ったり、盛り土をしたり、色々と作業車が動いている。ただ、協会のホームページをみても、具体的な設計図は示されていないので、今やっている工事の結果どのようになるのかが判らない。写真は第一次朝堂院の北端から北の大極殿を望んだもの。
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by taisi123jp
| 2009-11-25 08:47
| 歴史・奈良
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