今の発掘現場は〜、 かつての現場から見えた平城人 |
■平城人 こっそり肉食=奈文研報告 ◆禁止令無視
奈良時代に役所があったとされる平城宮跡(奈良市)の東方官衙地区で、トイレとみられる五つの穴の土壌から牛か豚の肉から感染するものを含む寄生虫卵が多量に検出された。役人らが「肉食禁止令」を無視して牛や豚の肉を食べていたことを示すもので、奈良文化財研究所の今井晃樹・主任研究員が17日発行の紀要で報告した。
同研究所が08年11月〜09年2月に発掘調査し、南北約2m、東西約8mの範囲で、1辺が50〜80cm程度、20〜37cmの深さに掘られた七つの穴を確認。トイレットペーパーとして使った木のへら、籌木(ちゆうぎ)が多数見つかり、採取した土を分析した。
その結果、コイなどの淡水魚から移る肝吸虫など9種類の寄生虫卵を確認。天武天皇が675(天武4)年に牛や鶏を食べることを禁じる命令を出したが、肉食をしていた役人が存在したことが確実になった。【山成孝治】 【毎日新聞 6/18】
■平城宮役人は「肉食系」だった? ◆禁止されてもブラ・ウシ食卓へ
奈良市の平城宮跡で見つかった奈良時代後半のトイレ跡に、当時のふん便が残っていることが、奈良文化財研究所の調査で分かった。寄生虫の種類から、ブタやウシを食べていたことが判明。奈良時代にはイノシシなどの殺傷禁止令も出されたが、役人の食卓には動物の肉が上っていたらしい。
◆東方官衙地区 ふん便に寄生虫
トイレとみられる穴は東方宮衙(かんが=役所)地区で6基見つかり、うち5基にふん便がたい積していた。穴の直径は約60cmで尻をふいた木ぎれも約300本出土。
同研究所が内容物を分析したところ、ブタやウシから感染する寄生虫卵が検出された。古代のタンパク源魚が主食で、天武天皇がウシ、ウマ、イヌ、サル、トリの肉食を禁止したほか、聖武天皇の天平2(730)年にもイノシシなどの殺傷が禁止された。 ブタを媒体とする寄生虫卵は、古代の迎賓館だった鴻臚館(こうろかん=福岡市)でも検出されたが、外国人の専用トイレとみられている。
今回のふん便について同研究所は「宮内の役所エリアで、外国人が入る可能性は少ない。日本人が食べたとみてよいだろう」としている。ほかにも、アユやコイの摂取を示す寄生虫卵やキイチゴ、ナス、エゴマ、ウリなどの種が検出された。
同研究所の今井晃樹・主任研究員は「禁令を裏返せばそれほど食べられていたということ。肉食が考古学的に裏づけられ、当時の食生活を示す貴重な資料」と話している。
◆宮内に外国人登用の可能性=金原正明・奈良教育大学教授(環境考古学)の話
当時の日本人が寄生虫に感染するほどブタやウシを食べていたとは考えにくい。宮内に外国人が登用されていた可能性もあるのではないか。 【奈良新聞 6/18】