久しぶりに「不退寺」を訪ねる |
むかし平城天皇が嵯峨天皇に譲位し、ここに移って萱の御所を営まれた。崩御の後、その第三皇子阿保親王、その子の在原業平がここに住んだが、承和一四年(847)業平が旧宮を寺として自作の観音像を安置したのが起こりと伝える。
もと大和十五大寺の一つで、境内には鎌倉時代の南門、多宝塔(上層は失われ下層だけ)、本堂がある。本堂内陣には木造聖観音立像(藤原時代)や五大明王像等が祀られている。
庫裏の庭には近くの古墳から出土したとされる砂岩製の石棺が置かれる。
四季を通じてとりどりの花が咲き「花の寺」としても有名。
墓地五輪塔
不退寺の北にある共同墓地の西入口北奥に「伝有原業平朝臣の墓」と伝える五輪塔が建つ。高さ215cmで反花座を設ける。四門の梵字などは刻まない。様式的に鎌倉時代後期の造立と考えられる。