幻の名所 遺構発掘に期待 ~興福寺東円堂推定地を発掘へ |
江戸時代の『大和名所図会』では現在の県庁の東側に東円堂の基壇跡が描かれており、駐車場の南半分を中心に発掘する。
東円堂は12世紀前半の平安時代に建立され、興福寺の記録によると、南円堂と同じ不空羂索観音像や地蔵菩薩像が安置されていたが、室町時代に焼失。その後は再建されなかった。 東円堂前の八重桜は鎌倉時代の説話集に登場するなど有名で、『大和名所図会』巻之二にも基壇跡とセットで描かれている。
かつて北側に隣接する県分庁舎の建設に伴う発掘調査では、灯明皿とみられる大量の土師器が出土。東円堂跡と同じ子院の一角で、県教委文化財保存課は「明治以降の土地利用で基壇が壊された可能性もあるが、調査で遺構の有無を確認したい」と話している。