平城宮跡の発掘調査 ☆東院地区の調査☆ |
<近世以後の耕作土を掘り下げ、遺構検出をしています>とあった。
また、掲示された解説の刷り物には〜
「平城宮の東側には東西約250m、南北約750mの張り出し部があり、その南半を『東院地区」と呼んでいます。
東院地区は『続日本紀』などの文献から、皇太子の居所である東宮や天皇の宮殿がおかれた場所であったことが知られます。特に称徳天皇の神護景雲元年(767)に完成した瑠璃瓦を葺く「東院玉殿」や、宝亀四年(773)に完成した光仁天皇の「楊梅宮」は、この地にあったと考えられています。
奈良文化財研究所では、これまで南半部および西辺部を中心として発掘調査を進めており、国から特別名勝の指定を受けた東院庭園の全容や、大規模な掘立柱建物が頻繁な建て替えられた様子を明らかにしてきました。
しかし、東院地区の全体像は未解明な部分が多く、2006年度からは平城宮跡における重点的な調査地として、継続的に調査をおこなっています。
今回の調査は、東西29m×南北35mの調査区を設定し、2012年12月17日に調査を開始しました。調査成果は現地説明会(日時未定)などで発表する予定です」と、あった。