■薬師寺食堂 東大寺、大安寺に次ぐ規模判明 |
創建時の遺構発見=奈文研の調査(平城第500次調査)現地説明会
奈良市西ノ京町の薬師寺で、昨日(26日=土曜日、午後)から、昨年から行われていた僧侶の食事に使われた奈良時代前半の食堂跡の、現地説明会が開かれ寒い中を多くの人が参加して聴聞見学した。多くの説明会ではテント張りの中で空っ風に吹かれて説明を聞くのだが、今回は境内直ぐの発掘現場横の休憩所内で行われ、発表時にはビッシリの人で埋まり後では立って聞く人も多く居られた。調査担当の石田研究員から遺構平面図や復原予想図を使って40分にわたり詳細な説明が行われ、その後現場見学に移った。
食堂の全面的発掘調査は、薬師寺の境内整備計画に基づいた食堂再建事業に伴う調査で、すでに1969、1970、1974、1979年に近畿大学と共同で部分的に調査が先行していたもので、その結果、食堂の建物の規模及び基壇の規模がほぼ確定し、さまざまな知見が得られたという。東大寺、大安寺に次ぐ南都ビッグ3の食堂だったことが裏付けられたとのこと。
今回の調査は大講堂北側の約1300平方mを調査し、食堂の基壇は土と砂を層状に突き固めて築かれており、東西46・9m、南北21・6m。外装の基礎になる地覆石や周囲の石敷きも残っており、礎石を抜き取った痕跡から、建物の規模は東西40・7m、南北15・4mと判明した。礎石の下だけ地盤が強化されており、掘り下げた基壇に土や瓦を積んで突き固めてあった。 <続く>。