薬師寺食堂=奈文研の調査(平城第500次調査)現地説明会(2) |
基壇は先述のように東西46・9m、南北21・6mで、建物は東西40・7m、南北15・4mと確定されるという。南面中央に階段がつくことは前の調査で分かっていたが、今回の調査で計3カ所に階段の張り出しが見つかり、基壇の高さは約75cmと推定できるとの話。
造営開始時期は、東塔からさほど遅れない奈良時代前半と確認。廃絶後に掘られた大穴の中にあった土器などから、14世紀初頭には建物はなくなっていたことが分かった。調査用のコンテナ(縦34cm、横54cm)で2000箱以上の瓦が出土したとのことで、その一部が展示されていた。
【左:創建当時の瓦、右:平安時代中期の瓦】
食堂は僧侶の食事や修行に使われ、主要な建物の一つだった。文献や絵図によると、南都寺院では東大寺が飛び抜けて大きいという。
調査担当の石田由紀子研究員は「食堂の規模は僧侶の数を反映しており、薬師寺が大きな寺院だったことを示している。食堂の調査例は興福寺や西大寺などを除けばほとんどなく、造営方法や構造を知る上で貴重な成果」と話していた。