興福寺西室発掘のその後 |
興福寺と奈良文化財研究所は27日、僧侶が日常生活を送っていた同寺の西室(西僧房)跡の西側で、並行して建つ掘っ立て建物跡1棟が新たに見つかった、と発表したというニュースが各紙が伝えている。
それによると奈良時代創建の西室と並存していたとみられ、僧侶の従者が住んだ付属施設の「小子房」跡の可能性が高いという。ただ、西室との間隔の狭さや建物の構造の違いなど謎も多い。発掘現場はすでに埋め戻され、現地見学会は終了している。
奈良文化財研究所によると、今年6月から10月上旬まで西室跡の南半分約985平方mを調査し、9月の現地見学会のあと遺構を精査し、柱列が南北7列以上、東西3列の掘っ立て建物跡が新たに確認された。掘立柱建物跡は、東西5.2m、南北40m以上と想定され、創建は古代までさかのぼるが、室町時代以前に廃絶していたと見られるという。
ただ、礎石建物だった西室に掘っ立て柱建物の施設が並存するのかという問題のほか、両建物の間の距離が約2.5mと短く軒が重なってしまうため、仕切り塀だった可能性もあるという。
担当の番光研究員は「小子房かどうかを判断するには、北と東にもあったとされる僧房の状況を確認することが重要」としている。