1月24日を「木簡の日」に提唱します。~平城宮跡サポートネットワークより |
◆NPO平城宮跡サポートネットワーク〝宣言文〟より
1月24日を「木簡の日」に提唱します。
奈良文化財研究所が特別史跡「平城宮跡」において、最初の木簡を発掘したのは、1961年(昭和36年)1月24日です。
この日にちなんで1月24日を「木簡の日」とすることを提唱します。
平成28年1月24日
特定非営利活動法人
平城宮跡サポートネットワーク
理事長 宮岡功一
◆昭和36年1月24日 大膳職推定地から出土
これらの木簡は、平成15年5月29日に、木簡としては初めて重要文化財に指定されました。平城宮跡の発掘で最初に出土したいわゆる「一号木簡」を含む大膳職推定地出土の木簡39点です。
その内訳は、
昭和35年第五次平城宮跡大膳職推定地の発掘の土坑(SK2一9号)出土の37点と、同地域内で昭和37年第七次発掘の井戸(SE3一1号)から出土した2点からなります。
木簡の年代は、
「甲斐国山梨郡雑役胡桃子一古」(表)、「天平宝字六年十月」(裏)と、
「甲斐山梨郡雑役胡桃子一古」(表)、「天平宝字六年十月」(裏)の二点に天平宝字六年(762)の年紀があり、奈良時代後期と認められる一群です。
注目されるものに、
一番の番号が付けられた「一号木簡」とか「寺請木簡」と通称されているものがあります。
表に「寺請 小豆一斗 醤一十(斗カ)五升 大床所 酢 末醤等」、裏に「右四種物竹波命婦御所 三月六日」とあり、
某寺が竹波命婦の指示によって御所の用料として小豆、醤、未醤油、酢の支給を請求したものです。
「竹波命婦」は、『続日本紀』神護景雲二年(768)六月戊寅(六日)条に、「掌膳常陸国筑波采女従五位下勲五等壬生宿禰小家主」とみえ、常陸国筑波郡出身の采女であり、孝謙天皇(称徳天皇)の食膳をつかさどっていた側近の女官でした。
『続日本紀』によると、
孝謙上皇は天平宝字六年五月に近江国保良宮より平城京に帰られて、宮寺とも呼ばれた法華寺を御在所とし、天平宝字八年十月に再び即位された。
とするならば、木簡の某寺は法華寺となり、日付も天平宝字七年か八年のいずれかの三月六日と特定できる。また「大床所」とは、清涼殿昼御座の御膳のことで、「醤油、酢」に関する天皇の食事用のための木簡であることが判明し、『続日本紀』を補う史料として、平城宮の日常生活を詳しく伝えている。
他に、「主殿寮 請火事」「請菜」「常食朝夕」などの日用家事に関する記事もみえる。また「阿万留止」などと書かれた万葉仮名も記されるほか、「馬」の習字など、国語学上からみても貴重な資料が散見する。
平城宮跡で最初に出土した第一号木簡を含む本木簡は、記念碑的な性格と、律令制下で日常的に用いられた基本史料として、価値が高い。本木簡が木簡指定の最初である。
ー(文化遺産データベース、国指定文化財等データベース)より
◆3月6日にガイドツアーも予定
また、寺請木簡に書かれた日付「三月六日」にちなみ、3月6日午前10時、平城宮跡などを巡るガイドツアーを開催する。寺請木簡が見つかった大膳職跡推定地や、大量の木簡が出土した長屋王邸跡付近などを巡る。先着40人、200円。
参加には申し込みが必要。同ネットワーク電話:0742-34-7713。
<遅いので、もう予定数に達しているかも?>