再び秋篠寺のモクレンと歌碑 |
3月末に訪れた時のシロモクレンの花は咲き初めだったが、4月に入って更に開花が進み、青空に大きくなった花を開いていた。しかし、花の着いた枝は全体の1/3位で花のない枝が目立つのは、先月と変わらない寂しい状態だった。
日曜日と云うこともあって訪れる人の数も多く、普段より賑やかな雰囲気だった。
寺のパンフレットには秋篠の里や技芸天を詠んだ、多くの俳人・歌人の作品が載せられているが、その内3人の歌碑が境内に建てられているのを、今回は取り上げてみる。(1)は境内でも足を運ばないところで、案内記を注意して見ないと見落としてしまう。
(1)吉野秀雄の歌碑
案内所の後に西向きに苔むした空き地に、安山岩と思われる自然石の表面を平らに磨いて彫られる。
「あまりじし(贅肉)なきししおき(肉置)のたおやか(婀娜)にみ面もみ腰もただうつつなし」
(2)会津八一の歌碑
南門の参道、東塔跡の雑木林の手前に、正面を水磨きした御影石に彫る。背面に「昭和庚戌」(昭和45年)と造立年を刻む。
「あきしの の みてら を いでて かへりみる
いこま が たけ に ひ は おちむ とす」(『鹿鳴集』)
(3)川田 順の歌碑
大元堂右後ろの少し高くなった平地の取っ掛かりに東面して建つ。安山岩の自然石の正面上方に長方形の黒御影を磨き彫る。昭和32年酉年造立。
「諸々のみ佛の中の伎芸天何のえにしぞわれを見たまふ」
秋篠寺へ来る途中の県営奈良競輪場の敷地に植えられたサクラは、早い木で二分咲き位に花を付けた木が数本あった。今日のような暖かさでは一気に開花が進むのではないだろうか。一方、平城宮跡のサクラは相変わらず開花していない。