東院地区の発掘調査説明会 <続き> |
◆検出した遺構<南区>
通路を挟んだ南側の区画は、奈良時代前半の遺構で東西9間以上(約26.5m)×南北3間(約9m)の南庇付き東西棟建物。これは更に東方へへ続く者で、更に大きな規模の建物になると考えられる。身舎の柱穴に床を支える添束の痕跡があり、床張りの建物だったと考えられるという。検出した範囲での床面積は約260㎡。更に東西の塀を2個所で検出した。
◆検出した遺構<北区>
奈良時代後半の遺構。(1)東西約9.5m×南北約9.0mの深さ0.3mほりこんだ中に、4.0×4.0mの井戸枠を検出した。平城宮跡における井戸としては最大級といえる大きさである。
(2)東西溝1、2。井戸西辺から西へ直線的に延び、1は底石と側石で4.6mの長さが護岸される。1に続いて2が調査区の西へ流れる。
(3)L字型溝幅約1.2m、深さ0.5~0.6mの東西素堀溝。多量の瓦や土器が出土した。(4)東西6間以上×南北3間以上の建物を検出しており、東西溝の片方とL字溝の覆屋となる可能性があるという。
総合的に見て東院中枢部での食膳を準備する厨に関連する空間だったと見られるという。
◆出土した遺物
土器類・瓦礴類がある。土器類は東西溝2やL字溝を中心に奈良時代後半頃の土師器・須恵器が多く出土。「宮」「美濃国」の刻印のある須恵器の出土は特筆される。瓦礴類は奈良時代前半の軒丸瓦・軒平瓦・鬼瓦や礴が出土。木簡は少なく1点展示されていた。
暫くは今回の区域の調査が続くが、その後は更に東方に調査区を設定する予定といわれる。