「地下の正倉院」展 Ⅱ.宮廷の生活 |
a「正倉院宝物」の落とし物(上右の写真)
正倉院宝物は、かつて聖武天皇とともに平城宮内にあった。だから出土木簡には、「正倉院宝物の片割れ」がいることがある。火爐はひばち。お香の容器のラベルの木簡が一緒に見つかっているので、香炉と考えたい。「御殿内」とあるから、あるいは聖武天皇愛用の内裏備え付けの品物かも知れない。とすれば、これらは東大寺の大仏に献納されて、香炉や櫃とともに正倉院に残っていたとしても不思議ではない遺物。文字通りの「地下の正倉院」の木簡。
b女官の横顔(上左の写真)
内裏には多くの女官も勤務する。左の「板野」は、阿波国板野郡出身の采女(うねめ)、板野命婦(粟凡直若子)まめらしい。彼女のもとで働く女官真浜女に飯と塩を支給した帳簿木簡。宮廷の華やかな生活を支えた女官たちの食事も、下級役人や兵士たち同様、飯と塩、そして菜っ葉程度のものだった。ところで、聖武天皇の皇后光明子は、正式には内裏ではなく、当時は父藤原不比等の旧宅、現在の法華寺の地に住まいしていた。
C 内裏を支える木簡(上右の写真)
西市は、平城京右京八条の公設市場。右はそこでの物品購入用の銭(和同開珎)のラベルの木簡。一定量の銭を紐を孔に通して束ね、この紐に木簡を括り付けた。千枚(一貫)一束の例もある。
左は、天皇用の紙を打つ(墨ののりがよくなるよう表面をたたき平滑にする)ため、三野部石嶋等を呼び出した木簡。呼び出し元は図書寮(ずしょりょ)か。この木簡は彼らが図書寮に出向く際の本人証明にもなった。.丈夫な木ならではの使い方だ。
dくじ引き札をつくる(上左の写真)
ラベルにしては切り込みも孔もない。使用済みラベルをまとめて捨てるのか?書かれている色と製品名の組み合わせに同じ物がないのに、みんな同じ表情をしている……さらに、くじ引き札と考える決め手になったのは、「取色」と書かれた札。他の札と同じ規格で作られていることから、オールマイティーの札と考えた。写真は切断加工以前の状態に復元したもの。粗い加工がかえって幸いし、復元の大きな決め手になった。