「地下の正倉院展」—平城宮木簡の世界Ⅳ |
宮廷での華やかな生活の隣には、それらを守る人々の姿があった。彼らを支える物資もまた、全国から集まっていた。
SK820出土木簡には、そうした人々に関わるものも多い。木簡は時に、彼らの生の言葉を伝えてくれることもある。
A 米塩のこと
奈良時代の基本史料、『続日本紀『』は、「米塩の事」は煩わしいので省いた、という。だが、米と塩を支給しなければ、宮城の警護もできない。米と塩は、国家の実力を直接支えていた。『続日本紀』で省かれた米塩の事を、木簡は伝えてくれる。
米や塩は重い。だから、都の近隣か水運の便の良い地域から貢納される。
右は、備中国からの、中央は阿波国からの米の荷札。「白米」は、保管に適した種籾の状態ではなく食用に適するよう精製した米。米は「五斗」」「五斗八升」「六斗」単位のものが多い。「五斗八升」「六斗」は庸米(ようまい)で、一日二合の計算で、一人の一ヶ月分の食料に相当する。一方、五斗は俵に対応する。古代は五斗一俵が基本であつた。なお、古田愛あの斗量は現行の約4割程度の量である。
左は 周防国からの塩の荷札。塩は若狭国・周防国をはじめ、瀬戸内海・三河湾の沿岸諸国から貢進される。「尻塩」(きたし)は固形塩(大きなかたまりに固められた塩)。形状にはいくつかのパターンがあり、地域や塩の種類と関係すると考えられる。この形状は周防国ではめずらしい。
B 警備部隊の配置(下右の写真)
宮内の警備レベルは、大きく三つに分かれる。もっとも厳重なのは内裏で、内裏の門は閤門〔こうもん)とよばれ、兵衛(ひようえ)が警備についた。兵衛は、中央下級官人の子弟や、地方郡司の子弟などからなる部隊で、身分上は官人の未端に連なる。
右は、夜間の見廻りを命じた木簡。平城京内は夜問外出禁止である。むろん、宮内も厳重に警備されていたようである。
左は、門など守備すべき場所ごとに兵衛の配置を記した木簡。警備場所は、内裏周辺である。SK820からは類似した木簡が多数出土し、その警備対象から「西宮兵衛木簡」(さいぐうひょうえもつかん)と称される。西宮は聖武天皇の御所(内裏)のこと。裏面に「食司」(しょくのつかさ)とあり、食料支給のための伝票のような役割を果たしていたと考えられる。
C 塩がない(下左の写真)
西宮兵衛木簡のうちの一点。兵衛の名前に合点(がってん)が記されており、実際に勤務したかどうかなど、何らかの照合がなされている。
注目されるのは裏面である。およその意味は「塩が来ていない。いっもどおりちゃんと用意してくれ」というようなことであろうか。食料支給の伝票として用いられ、支給現場で書き込まれて詰所に送り返されたのであろう。漢文としては不正確で文字も雑だが、逆に怒りが伝わってくる。
第Ⅳ期「宮城の守り」の展示は16日(日)まで。