平城宮跡木簡に「左弁官」 役所配置解明の手がかりに |
奈良市佐紀町の特別史跡・平城宮跡で、奈良時代に国家の中枢事務を担った役所である「左弁官」と書かれた木簡が奈良文化財研究所の調査で見つかった。内裏(天皇の居住空間一に関連深い役所だが、配置はよく分かっておらず、今回の発見が解明の手がかりになりそうだという。約200メートル離れた内裏方面から流れる幅約3.2メートルの溝から出土した。「左弁官□宣」一□は読めず一で始まり、「大輔宣御在所南」などと書かれていた。大輔(たいふ)は各省の次官クラスで、左弁官や大輔が何事かを命じたときの記録らしい。御在所は内裏を指す。
左弁官は当時の国政の最高機関だった太政官に属し、八省のうち、中務(なかつかさ)、式部、治部、民部の四省を統括。残りの四省は右弁官が担当した。太政官符を作製するなど、国家事務の中枢を担ったとされる。 【『ならら』2月号】