飛鳥・石神遺跡〜東限の建物跡か? |
飛鳥時代の「迎賓館」とされる明日香村飛島の石神遺跡で、7世紀中ごろの東限の門とみられる建物跡が見つかり、奈良文化財研究所が12日、発表した。最盛期の斉明朝にば、一部が瓦ぶきだった可能性があるという。同時期に寺以外で瓦の使用例は珍しく、辺境民や外国使節に対し国家の威信を示す目的があったと考えられる。昭和56年から計21回実施された同遣跡の発掘調査は、今回でいったん終了する。
遺跡の範囲確認を目的に、昨年10月から約480平方メートルを調査。東限の塀や建物跡が多数見つかり、短期間に3回建て替えられたことが判明した。
このうちの最後の時期に、東側に突出部を持つ南北方向の素掘溝(幅1〜1.5メートル、深さ0.2メートル)が見つかった。建物の雨落溝とみられ、当初は西側に基壇部があり後世に削られたと推測。突出部は階段が想定され、門の可静性が高い。
溝からは大量の丸瓦や平瓦が出土。ただ、寺院跡と比べると少量で、軒丸瓦もないことから、屋根の頂上など一部だけに瓦が使われたとみられる。
また東限から東に南北塀が確認され、幅16〜17.5メートルの外郭通路があったと推定。遺跡の北を通る古代の官道・山田道と飛鳥の中心部を結ぶルートだったとも考えられる。
同時期の瓦ぶき建物は寺院が中心。宮殿で瓦が便用されたのは藤原宮(694〜710年)が初めて。石神遣跡も中核施設は桧皮ぶきや板ぶきだった。
奈良文化財研究所の松村恵司・都城発掘調査部長は「石神遺跡には辺境から連れてきた蝦夷(えみし)らを驚かす噴水など様々な装置があった。瓦で表からの見栄えを良くしようとしたのでは」としている。
現地説明会は14日午後1時30分から。小雨決行。駐車場無し。
【奈良新聞 2/13】