平城遷都1300年祭ー遣唐使船復元の裏話 |
先月17日、骨格たくましい木造船が七つのブロツクに分けて平城冨跡に運び込まれた。天皇の使者や留学生を乗せて荒海を渡った遺唐使船。平城遷都1300年の今年、当時のままの姿でよみがえる。
「原寸大でできますか」。静岡県松崎町の岡村造船所が平城遷都1300年記念事業協会の打診を受けたのは昨年初め。専務取締役の岡村宗一さん(62)は「30年ほど前から研究を重ね、ミニチュアの遣唐使船も造ってきた。自信はあった」と振り返る。同杜の事業の一つに船舶工芸がある。昭和56年の「ポートピア81」に全長約20mの遺唐使船を出展したほか、映画「空海」の撮影で使われた遣唐使船も同社の仕事だ。
実際の遣唐使船はどれくらいの人数を運んだのだろう。研究者は100〜150人程度とみており、ほほ半数が水夫だった。派遣は1回4隻で、500人ほどの人間が命を託したことになる。大使や副使に加えて各種の技術者や僧侶も同行、唐の先進文化を日本に伝えた。
犬上御田鍬の舘明二(630)年から菅原道真が大使に選ばれた寛平六(894)年まで、計20回派遣されたが、構造の分かる資料は非常に乏しい。復元のモデルとなったのは「吉備大臣入唐絵詞(きびだいじんにっとうえことば)』(12世紀)の遣唐使船だ。マストは2本で甲板に屋形が建つ。
建造中の遣唐使船は全長約30m。発注者の意向で吉野杉に絞り、直径40〜50cmの丸太を約100本調達した。「せっかく奈良で造る船。船大工としてのこだわりもある。今風の素材を使えば簡単だが、完成したとき『平成の船』と言われたくないLと岡村専務は話す。「船体を奈良県産のオール木(もく)にすることで奈良時代の雰囲気を感じてもらえれば」。ただ「丘の船」であるため耐震の筋交いは十分入れた。「船は本来の形で強度が出る。造るのは喫水線の上部で、それなりの補強が必要だった」という。
今月下旬にはマストや屋形などの艤装(ぎそう)に着手、完成は3月中旬の予定だ 1300年祭では甲板に乗ることができ、平城宮跡会場の目玉となる。
150人もの人問を外洋に運ぶ造船技術は、当時の東アジアでも最先端のものだつた。岡村専務は「大仏殿を造った時代。30mの遣唐使船が造れても全く不思議はない。重要な国家事業であり、威信を感じさせる素晴らしい船だったろう」と話した。(遷都1300年祭取材班) 【奈良新聞 1.10】